レイチェル

神奈川県の逗子在住。医師をしながら感情カウンセラー、一悟術ヒーラーをしています。
海が大好きでいろんな海を探索しています。西表島、宮古島が特に好きです。
旅行も好きです。

記事一覧(24)

おなかのお医者さんが教えるこころとからだが喜ぶスイーツの会

ストレスがたまるとつい食べてしまうことありませんか? イライラしたり忙しい状態が続いたりすると、食事をとる時間もままならなくなることがあります。不規則になってお菓子などをつまんでしまうこともあるかもしれません。 
私は大学病院で勤務医をしていた時、忙しくて休憩をとることができず、1日1食で、夜遅い時間にたくさん食べたり、おやつをつまんでいました。
食事ではなく、そのときの空腹感を満たすことしか考えていなかったのですね。
朝起きると胃は重い感じがしましたし、からだの浮腫みやだるさがあり、なんだかいつも疲れている状態でした。 忙殺されるような毎日に、生きることに必須であるはずの食べることがおざなりにされてしまっては、本来の力を発揮することもできず、充実した日々を送ることもできません。 
ではどうしてそんな生活になってしまうのでしょうか? どこかに隠された思い、逃げたい気持ちなどがあるかもしれません。 コンビニや深夜までやっている飲食店も多くなり、食に困らなくなった現代。 その代償として生活習慣病とよばれるものが増えているのも事実です。 本当はどんなものが食べたいのか。 どのぐらいたべたらいいのか。 どんな食事が満たされるのか。 自分の食べるという行為に意識を向けて、こころもからだも元気にな状態を目指しましょう。 
お菓子作りとからだとこころが喜ぶお話の会です。
30分ほどでできるお菓子とお話しをしながらこころとからだをもっと元気にしましょう。 
《おなかのお医者さんが教えるこころとからだが喜ぶスイーツの会》日時: 6月23日(日)14時〜17時 どんなときに食べたくなっちゃうの? 6月30日(日)14時〜17時 本当は何を求めているの?空腹?それとも? 7月7日(日)14時〜17時 現代の食品はどんなものがあるの? 7月28日(日)14時〜17時 からだもこころも地球も元気にしよう 
場所:逗子市逗子 (詳細はお申込み後にご連絡します)費用:各回 3,000円 当日現金払い 定員:各回 4人お問合せ先:rachel.1024@icloud.com お申込先:rachel.1024@icloud.com 
お申込みの方は上記連絡先に①お名前、②当日連絡可能な連絡先、③参加希望日、④アレルギーの有無を明記の上ご連絡ください。材料準備のため、締め切りは各回開催の3日前までとさせていただきます。  参加は一回のみでも複数回でも可能です。注)卵、乳製品、小麦は使用しません。その他のアレルギーのある方は事前にお知らせください。

こころ、からだ、その関係は?

消化器内科として勤めていると、お腹の調子が悪くて病院に来る方にたくさん会います。
どの方も悩みを抱えていたり、ストレスで苦しんでいました。 病院では薬を処方したり、内視鏡で病気を特定したりします。 
でも私はずっと気になっていたことがあります。 
『本当は根本からアプローチしなければ何も解決しない』 
つまり、何に悩んでいて、どう解決していけばいいのか。自分で気がついて動かなければ何も変わらないということです。  私が行き着いた答えは、【感情カウンセリング】  自分が何に悩んでいて、どう解決したらいいか。そのサポートをする事で、もっとみんなが元気になって、仕事にもプライベートにも活かして欲しいと思います。 
ところで感情って何? 感情がストレスとどう関係するの? 
そんな疑問に応えようと思い今回企画しました。
楽しみながら、病院では教えてくれない体と心を良くするお話会をします。 
ストレスと感情の関係って? 心を表す言葉で、体の部位のつく言葉は? ストレスが原因で起きる病気は? ストレスに対応できる新しい方法って何? 
神経内科医 木ノ本景子と消化器内科医 レイチェル(高木麗)といっしょに楽しくこころとからだについて学びませんか? 
参加者の方には、こころを軽くしてくれる書籍『人生が変わる 感情のクリアリング』をプレゼントします。  日時:5月29日(水)14時〜16時 場所:鎌倉市長谷 ヘテロクリニック 価格:2,000円  詳細はお申込み後にお伝えします。 お申込み先:rachel.1024@icloud.com

忘れられない人⑥

私は大学病院で胆道、膵臓の癌を受け持っていたことがありました。そこで何度も自分の担当になる一人の患者さんがいました。その方は私がそのチームに配属になる前から何度も入院していたのでした。彼は肝門部胆管癌という病名でした。胆管が癌によって押しつぶされ閉塞してしまっていたのでした。それによって起きる黄疸と閉塞性胆管炎を起こさないために病院で処置をしていました。胆管が閉塞してしまうと脂肪の消化吸収に必要な胆汁という消化液が腸内に流れず、胆管や肝臓内にとどまり、血液に移行して黄疸という症状を起こします。それに加えて、滞った胆管内に腸内細菌が感染し胆管炎を起こすのでした。この胆管炎は重症化すると急速に死に至るような感染症でした。私達のする治療というのは、特殊な内視鏡で胆管のなかにステントを入れるというものです。これによって詰まっている胆管を拡張させて感染した胆汁を胆管から流し、黄疸も改善することができます。しかし、入れたステントは時間が経つと内部で詰まってしまい、新たにステントを入れ替えをする必要がありました。内部が詰まってしまうとまた閉塞性胆管炎を起こしてしまうのです。癌の治療どころか、胆管炎という感染症で命を落とす危険があるのでした。そのために彼は何度も入退院を繰り返していたのでした。それは、1ヶ月間入院して退院したら1ヶ月たたないうちに再入院になることもあり、ほとんど病院にいるのではないかと思うほどでした。ある時、いつものように内視鏡でステントを交換の処置を終えた時です。ふと私につぶやきました。「もうこんなことをするのは嫌だ」もう本当にうんざりだといった顔でした。「こんなことをするなら死んだほうがマシだ。ずっと入院ばかりしてずっと我慢しなくてはならない。こんな思いをもうしたくない。」確かに家で過ごす時間は少なく、安心できる時間は少ないように感じました。入院生活というのはストレスのかかるものです。周囲は知らない人だらけですし、病院ならではの制限もあります。仕方がないこととはいえ、プライバシーも守られているわけれはありません。日常になかなか戻ることができないことに苛立っている様子でした。その後、本人と家族と話をしました。結論としては、残された時間をどうしたいか考えたときに、今の治療を続けるのではなく家で過ごす時間を優先したいと望んだのでした。私の考えとしても、彼の思うように生きることが一番いいだろうと思いました。家族はアメリカに住んでいましたが、すぐに日本に戻る手配をしていました。その後往診医の先生をみつけ、彼の娘さんの家族と一緒に過ごされました。数ヶ月経ったある日、彼の家族が病院にやってきました。以前にもお会いした彼の娘さんでした。明るい笑顔で私達に対してとても感謝していると伝えに来てくださったのでした。「家にいて不安なことよりも、本人が本当に家で穏やかに過ごすことができて嬉しかったです。何より家族で本当に楽しく過ごすことができました。一緒に過ごせてよかったです。」それを聞いて私はとても安心しました。実のところ私は、彼は自宅に帰ってからの期間はそれほどないのではないかと思っていました。胆管炎を起こすリスクが非常に高いからです。そのため、本人も家族も想像以上に混乱することがあるかもしれないと思っていたのでした。しかし、自宅ではとても元気に安らかに過ごせていた様子でした。それは本人だけでなく家族にとってもでした。彼自身が繰り返される治療にうんざりし、生きる意味を見いだせなくなっていた状態から安らかに過ごされていたと聞いて私はとても嬉しく思いました。早速一緒に治療をしていた上司に彼のことを報告しましたが、上司は彼を覚えていませんでした。それに関して当時の私はとてもがっかりしたのでした。このように書くと一部誤解を招くかもしれませんが、癌の治療を否定しているのではありません。最終的にもっとも大切なことは、当事者がどう生きたいか選択できることではないかと私は思います。世の中には情報もたくさんあり、様々な意見があると思います。しかし、自分の人生を生きるという意味で揺るぎないことは、自分で自分の人生を選択することなのではないかと思います。それが彼が安らかに過ごせたことにつながったのではないかと思います。癌の治療というのは様々な側面があると思います。癌自体にアプローチをするもの、癌の治療に向き合うためのサポート、薬の副作用に対する治療などがありますし、周囲の人のサポートも必要であると考えています。その頃からか、私は自分が興味を持って見ていることが他の医師と違うように感じ始めました。おそらく当時の私の周囲の医師は、病気に対してどう処置していくかを追求していたと思います。しかし私はその人の生涯がどうあったらいいかに興味があったのでした。当時の私は自分に湧き上がる感情に従って起きている現象を対処しようとしているようでした。目の前にいる人をどうしていったらいいいか、どうしたら安心できるか、幸せに過ごせるか、といったことが中心に物事を考えていました。ですから、常に不安に悩まされていました。相手が不安になるのが不安でした。相手が嫌な気持ちになったらどうしようといつも不安だったのでした。この一件で私の人生の選択が変わり始めたような気がします。

感情カウンセリングキャンペーンはじまりました

先日、感情カウンセラー協会代表理事の谷 孝祐氏より、《人生が変わる感情のクリアリング》が発売されました。本の中で私の体験談も載せていただきました。感情カウンセラーのこれまでの体験談や感情の向き合い方などを知ることが出来ると思います。私は数年前、大きな病院に勤務しており、がん患者さんやお腹の症状で悩む患者さんと関わっていくうちに、感情にとらわれて仕事のトラブルや人間関係の悩みを持つ方がとても多いと実感しました。当時は出会った患者さんたちの悩みを解決したいという思いから、感情的な滞りを解決する方法を模索していました。上司のいいなりになって自分の意見を言えなくなってしまっている方、他人の目が気になって自分の実力を発揮しきれない方、家族と喧嘩ばかりしてしまう方、みんなにいい顔をしすぎて疲れてしまっている方、自分の実力をみんなから認めてもらえず苦しいと思っている方イイ人でいることで自分の気持ちを見失っている方みんな感情的な鬱憤のようなものがあり、これが解消されればいいのにと思っていました。自分なりに考えて患者さんとの対話の時間を多く設けたりしました。しかし、お互いに感情の波に飲み込まれて出口の見えない迷路を彷徨うようになっていました。しかし、感情カウンセラーになり、感情の扱い方を学ぶことによって、実は私自身が感情にとらわれていたことがわかりました。私も人の顔色を伺うような癖がありました。それは誰かから嫌われるのが怖いというものであったりしました。ですから誰かの機嫌をとるような行動をして本来自分が言いたかったこと、やりたかったことを我慢する癖がありました。他にも自分がとらわれていたことがたくさんあり、自分で自分の人生を生きにくくしていたことに気がつきました。自分で感情を扱えるようになると、自分が何で悩んでいたかが明確になり自分で答えを出しやすくありました。すると、誰かが感情で悩まされている時に、その人自身が自分で答えを見つけやすいようにサポートができるようになりました。私は医療を提供しているのですが、病院に来られる方は体だけでなく本人の気づいていない心の問題を抱えていることが多いと実感します。病気のない健康な人でも知らないうちに多くのものを抱え込んでいると思います。誰もが自分らしくいられ、自分の持つ才能を発揮できる世の中になったら、もっと世界はよくなると思います。さて、感情カウンセラー協会からこの度キャンペーンとして通常セッションを1回40分 6,000円と書籍のプレゼントをすることになりました。多くの方が悩みから解放されて自分らしく楽しく人生を生きるサポートができたら嬉しいです。感情カウンセリングの申し込みは感情カウンセラー協会から可能です。5月末までの期間限定になりますので、興味のある方は是非お申込みください。

忘れられない人⑤

私は研修医になりたての頃、実は小児科に興味がありました。子供が好きだという単純な理由です。研修医2年目になったばかりの時に小児科の研修が始まりました。小児科にはいろんな子がいました。ある時、私は小学生になったばかりの男の子を受け持つことになりました。普段サッカーをして元気に遊んでいる子がなんだかぐったりして、体にあざができているということで母親に病院に連れてこられました。彼は白血病でした。小児科病棟には他にも白血病に子供たちがいました。彼より少しお兄さんで高学年の子供たちでした。彼は一年生で病室では一番年下でした。入院するとお母さんと離れなければなりません。突然入院になり、知らない人たちに囲まれ心細かったのでしょう。急にいろいろなことが起きて気持ちの整理もつかないでしょう。ずっとワンワン泣いていました。その姿をみるのは私も辛く感じました。治療が始まりました。先に液体のにがい薬を飲むことになりました。白血病になると病気の影響や抗がん剤の影響で通常健康な人はかからないような弱毒菌にも感染してしまいます。ですから、様々な種類の抗菌薬、抗真菌薬を飲まなければなりません。飲もうねと声をかけますが、泣きながら嫌だ嫌だと泣き続けます。それでも飲まなくていいよとは言えません。なんとか説得しようと試みます。やっとのことで飲めた時には次の薬の時間になります。「どうしてこんなことしなきゃならないの?もう嫌だよぅ、ママ〜ママ〜。」ベッドに突っ伏して泣き続けています。なんだかその姿がとてもかわいそうで私は自分が悪い人間のように感じてしまうこともありました。だからと言ってやめる訳にはいきませんでした。周りの子供達は何も言わずに静かにベッドにいました。彼の母親も心配でなりません。「薬を飲まなければいけないことはわかっています。でもこんな子供の姿を見るのは辛くて。私も一緒に飲むから、なんとなりませんか?薬一緒に飲ませてください。」しかし、それらの薬は元気な人が飲むことも体にとっては良くないことなのです。母親の気持ちは理解できますが、こちらとしてはいいですとは言えません。どうして自分の子供がこんな目にあうのか母親もまた泣いていました。どうしてこんなこともしてくれないのか、どうしてこれができないのかと不安から私への口調が強くなることもしばしばありました。何度か抗がん剤治療がされると、次第にぐったりとし、ほとんどベッドから起き上がることがなくなってきました。食事も食べたがらなくなります。見るからに痩せていくのがわかりました。髪も抜け落ちます。また泣きながらシーツに落ちた髪の毛を粘着テープでとっていました。私は見守ることしかできませんでした。なんと声をかけるのがいいのかわからないのです。何を言ってもそれは空気のように消えてしまうような気がしました。そんなことが続きましたが、ある時期からあまり時間がかからず薬が飲めるようになりました。本当は嫌でたまらない様子でしたが自分で飲むようになったのです。「だって、これ飲まないと僕死んじゃうんでしょ?」そう言われた時、私はとても胸が苦しくなりました。病気ってなんて残酷なんだろう。子供だろうと関係ない。どうしてこんなことが起きるのだろう。生きることってなんなのだろう。人生ってこんなにも辛いものなのか。私は自分が何もできないという気持ちでいっぱいでした。しばらくすると、彼は病院生活にも慣れてきた様子でした。少しずつ副作用も減り、徐々に起き上がることが増えてきました。すると、同じ病室のお兄ちゃんたちとも遊ぶようになりました。私も少しでも寂しい思いをさせたくないと時間のある時は彼と遊びました。いえ、本当は遊んでもらっていましたかもしれません。二人でDVDをみたりカードゲームをしたりしました。それがよかったのかわかりませんが、しだいに彼も落ち着き、私の気持ちも落ち着いていきました。最初は同じ病室の子供たちはとても冷めているように感じました。私の担当の子がいくら泣いても何も反応せず、それぞれが自分の世界にいるような感じでした。ゲームをしていたり、絵を描いていたり、彼に対して何かしようともせず、一見無関心のようにもみえました。しかし、本当はいろいろ思うところがあったのかもしれません。どんな言葉をかけられても辛いことも、苦しいことも他の誰よりも知っていたのかもしれません。だから彼が泣いていても何もしようとせず、ただ待っていたのかもしれません。大切な人が辛い時、悲しんでいる時、病気の時、誰にもそれを肩代わりすることはできません。サポートする側の人はそれを辛く感じることもあるかもしれません。変わりたい、気持ちを共有して楽にしてあげたいと思うかもしれません。しかし、一緒に悲しんだり、苦しんだりしても本当の意味で相手が楽になるわけではありません。本来の生きることをサポートをするために、相手にとって本当に必要なことと向き合えるようにしていくことが私の仕事だと今では感じます。当時の私は彼の姿をみてかわいそう、つらそうという感情が強く、日々の診療で自分自身が辛くなてしまっていました。それを表に出さないようにはしていましたが、内面では自分の感情にとらわれてしまったのでした。ですから、彼や彼の母親に対して、こんな風に言ったら傷つくのではないかとかとか、どういう言い方をしたら穏便にすむかという気持ちから発言や行動していたように感じます。今ではそれは医療者としてはよくないことだったと思います。私自身が感情に飲み込まれないように冷静でありながら、生きるサポートができるように今は感情を理解するように努めています。病気になることは本人にとっては大きな出来事です。体の状態だけでなく、心の状態にも影響します。様々な感情が出てきます。子供も大人も同じです。このつらさがいつまで続くのかわからない。みんなと同じようにできなくなった(遊べなくなった、仕事ができなくなった、生活できなくなった)。これまで培ってきたものを失うのではないか。たくさんの葛藤が生まれていくます。そのような状態の時に冷静な判断ができ、真にサポートできる人が必要であると思います。研修医を終えた1年後のある日、私を大声でよぶ子供の声がしました。振り返ると彼が走ってきました。顔が以前よりちょっとふっくらとしてニコニコとした彼はとても元気そうでした。母親も一緒でした。元気な彼を見られたことが私の最大の喜びでした。病気を経験した彼は辛かったこと、悲しかったこと、悔しかったことたくさんあったことでしょう。でも、この経験が彼の糧になると私は信じています。

人生が変わる感情のクリアリング

カウンセリングと聞くと、どのようなイメージを持たれるでしょうか?何か困りごとがあって相談に行くところといったところでしょうか?本来カウンセリングは相談者にアドバイスをするということではありません。相談される方の解決の糸口をサポートすることが目的です。人は困っている時、誰かにすがりたくなることもあることでしょう。答えを求めて右往左往することもあるかもしれません。でも本当の答えは自分でしか出せないのです。誰かに「こうしたほうがいい」と言われたことをそのまま鵜呑みにして行動した場合、うまくいったように感じれば、その人に答えを求め続けて、自分で解決しようとしなくなってしまうかもしれません。失敗したように感じれば、うまくいかないことをアドバイスをした人のせいにしてしまったりするかもしれませんし、人の言う通りにしてもうまくいかない自分をダメな人と決めつけて落ち込んでしまうかもしれません。人はそれぞれこれまでの培ってきた経験があります。同じ出来事でも人によって感じ方も違います。ですから問題の答えだって一つではないのです。何に自分がつまづいているのか自分が理解することが大切です。何につまづいているのかを紐解いていくには自分のことを客観視できることも大事だと思っています。感情カウンセリングでは自分の悩んでいることを客観的にみることができるように、何にとらわれているのか気づきやすくするサポートをしています。つまり、自分で問題を解決するサポートです。「人生が変わる感情のクリアリング」著 谷孝祐が幻冬舎さんから出版されました。この本の中に私が感情カウンセラーになるきっかけを載せてもらいました。私は大学病院時代に癌患者さんとの関わりの中、自分の感情にとらわれて自分を見失ってしまったことがあります。当時の私にとって感情はとても厄介であり、人生の足かせのように感じていました。自分が辛い時、悲しい時にそれを表に出さないように頑張って生きてきましたし、それがいいことだと思っていました。職業柄、冷静でいることが大事だと思っていましたので、動揺したり、悲しんだり、怒ったりしないように我慢していました。ですが、感情をなかったことにすることの弊害は大きく、コミュニケーションがうまくいかなくなったり、溜め込んだものが爆発してしまったりしたこともありました。感情を人にぶつけてしまうとトラブルの原因になります。感情を感じないようにすると、体の不具合として現れたり、限界になって自分を保てなくなることがあります。本当は感情と向き合い、人にぶつけることなく落ち着いて自分の気持ちを伝えることが大切です。私は感情カウンセリング養成講座で感情について学び、きちんと自分の感情に向き合えるようになりました。感情を理解すると自分のことがわかり、自分の人生をよりよくできることもわかりました。私は感情カウンセラーとしてカウンセリング業をしていますが、感情で悩むことは本当に多いのだと思います。書籍販売のキャンペーンが始まります。多くの人に感情を味方にして人生を切り開けるチャンスが増えたらとっても嬉しいです。

忘れられない人④

当時、私は本当に困っていました。ある時、救急科に運ばれた患者さんがいました。彼はいわゆる路上生活をしている人でした。道で倒れているところを発見され救急車で病院に運ばれてきたのでした。真夏のことです。脱水症状があるため点滴をされていましたが、発見当初意識障害があったということで何か他の病気がないかと救急科で色々な検査がされていました。するとCT検査で胆管癌がみつかりました。それはかなり進行している状態とわかりました。そのため、消化器内科に入院となり私が受け持つことになったのでした。その男性は脱水が治るとよくお話するようになりましたが、体はすでに自分の足で歩けないほど弱っていました。癌の進行もかなりのものでしたし、高齢であったので心臓や腎臓など他の部位も悪い状態でした。しかし、問題はとにかく私を困らせる人だということでした。看護師さんにいろいろ文句をつけては喧嘩になっていたり、病院のルールが守れず病室でタバコを吸ったり、スタッフに暴言を吐いたり、他の患者さんとトラブルを起こしたりと病棟スタッフはうんざりしている様子がありました。体の状態が良くないため癌の治療自体も危険でした。今後どうしていくかという議論が医局内でされます。そもそも彼は治療費を払える状況ではありませんでした。こんなことを言うのはかわいそうだと思う人がいるかもしれませんが、正直なところもう病院でできることはないから退院させるようにと上級医から伝えられていました。しかし、彼はすでに自分では動けない状況です。誰かが引き取らなければなりません。彼から家族はいないのか、頼ることのできる人はいないのか尋ねましたがなかなか答えようとしません。彼に今後どうしていきたいのか尋ねてもまともな答えが返ってこないのです。治療できないからといって、彼をどうにも動かせる状況ではないのです。今の体に癌の治療はかえって死期を早める可能性が高いし、かといって何もせず入院することは他の入院の必要な患者さんが入院できなくなってしまいます。大きな病院では治療のために入院待ちということもよくあることなのです。何度かしつこく彼と話すうちに観念したように話し始めました。実は家族がいると伝えられました。しかし連絡はとりたくないとのことでした。何かよほどの事情があるのでしょう。しかし、誰かの手が必要な状態です。区役所の人に相談するのも一つですが、家族がいると分かれば家族に連絡はいくことでしょう。それを告げるとしぶしぶ連絡先を伝えたのでした。私は家族に電話をかけました。「・・病院の医師の・・(私)と申します。実は・・さんが当院に入院されています。病状はかなり進んでいる状態です。現状と今後のことをお話させていただきたいので、一度病院にお越しいただけませんか?」すると電話口から怒鳴り声が聞こえました。「医者だかなんだか知らねえが、なんでそんなやつのことで行かなきゃなんねえんだよ。俺がそいつにどんな目にあわされたと思ってるんだよ。ふざけんじゃねえ。このクソが。」初対面の方にしては随分な物のいいようだと思いましたが、現実的にもし彼が亡くなったとしても関わらなければならないことには変わりありません。私が女性で若いから相手にされていないのかもしれない。仕方がなく先輩の男性医師に変わり電話をつないでもらいますが、やはり同じような応対をされてしまいます。何度か電話をかけやっと家族の一人が来院しました。息子さんだというその方には、先に本人に会う前に癌であることや予後、現在癌治療ができない状態であることを伝えました。相手は終始イライラしている様子でした。その後、病室に案内しました。すると、お互いに目があった瞬間です。突然掴みかかり怒鳴りあいが始まりました。「お前、このやろう。」「なんだ、このやろう。」「ちょっとやめてください。」私は中に割って入るのがやっとでした。過去に何があったかはわかりませんが少なくともお互い冷静になれる状況ではないことがよくわかりました。「お前これでわかっただろ。連絡なんかすんじゃねえ。」私はまた息子さんに怒鳴られてしまいました。「そうですか、でも亡くなった時は連絡します。それはいいですね。」「勝手にしろ。」、、、。やれやれこれからどうしよう。私は頭を抱えました。とにかく療養病院にいくことができるのかケアマネージャーさんや他のスタッフに確認するしかないか。それとも最期をここで過ごすか、、、。そう思っていると看護師さんからPHSに連絡が入りました。「先生、・・さん亡くなっています。」急いで病室にいくと確かに彼は亡くなっていました。心肺蘇生をしましたが息が戻ることはありませんでした。すぐに先ほどの家族に連絡をしました。電話の向こうは無言でした。家族が来院しました。先ほどまでの怒鳴り声はありません。ずっと押し黙っています。先ほどまで私に怒鳴っていた彼はずっと目が泳いでいるようでした。なんとなく体も震えているようでした。私には明らかに動揺しているようにしかみえませんでした。そんな様子をみていると、本当に死ぬなんて思っていなかったのではないかと思ってしまいました。話していることはわかっていたかもしれないけれど、現実として受け入れられていなかったのではないかと思いました。だから、実際にあった時に、今までつもりつもった憎しみのほうが強くなって冷静になれなくなってしまったのだと思います。本当のところは定かではありません。私の憶測です。しかし、あれほど怒りをぶつけ、憎しみをこめていた様子はもうありませんでした。これでよかったのだろうか?実際、私にはそれ以上どうすることもできなかったのですが、何か私のこころにしこりが残ったのでした。人間関係のなかで感情にとらわれているとお互いに分かり合えないことがあります。身近な人間関係こそ複雑になりやすいのかもしれません。感情のぶつけあいでなく、必要なことを落ち着いて伝えることができたなら、もっとわかりあえたかもしれません。

忘れられない人③

ある時食道癌の男性を受け持ちました。彼は食道が癌でふさがりつつあり、固形物を食べることができなくなっていました。口にするのはドリンクの栄養剤です。彼のところに診察に行くと、いつも漫画が積まれていました。それは「美味しんぼ」でした。「いつもその漫画読まれているんですね。好きなんですか?」「うん、好きだね、食べることも大好き。」にっこりと笑いながら話していました。彼の病状はすでにかなり進行していました。このままでは食道は塞がってしまい、液体状のものも通らなくなります。病院ではステントといって金属製のコイルのようなものを狭くなった食道に入れる治療が考えられていました。いわゆるQOL改善目的の治療です。癌自体を治すわけではないけれども、できるだけ自然な形で食事が続けられるように考えられた対症療法です。彼は食道ステント留置術をしました。ステントは問題なく広がり無事に処置が終わりました。少しずつ用心しながら食事が始められました。その後、固形物がとれるようになり、一旦自宅退院ができるようにまでなりました。食べることが大好きだった彼が少しでも通常に近い食事ができるようになって私は嬉しかったです。しかし、ほんの1日で彼は病院に戻ってきました。大量の液体を吐きながら脱水状態になっていました。検査をすると、入れられたステントは癌によってぐしゃりと曲がり、機能しなくなっていました。内視鏡で食道をみると食事の残骸が残っていました。その中に小さな丸い白い物体がありました。ビービー弾といったら想像できるでしょうか。6mmほどのきれいな丸い形をしたものが残っていました。これはなんだろうと、吸引すると、裏がオレンジ色をしていました。それは蛋白変性して白色になっていたイクラでした。彼は一時退院してイクラを食べたのでしょう。胃まで到達できなかったイクラをみつけたのでした。その後病状は急速に進行し、彼は亡くなりました。私はやりきれない気持ちになりました。最後に食べたイクラは美味しかったかな。ほんの少しの時間であったけれど、少しでも彼の願いは叶えられたかな。そんなことを考えました。彼は幸せだったか、少しでも満たされた感覚があったか、本当のところは彼にしかわかりません。私にとっては癌の治療に対する考え方を考えさせられる経験でした。医療は死をコントロールすることはできません。生き方をサポートするにはどうしていくべきか私の中ではずっと課題でありました。どうなることが本人にとっての幸せか、どうなりたいか、どうすれば悔いのない人生になるか、これはこれからの課題であります。死ぬことを意識すると、どう生きたいか考えるきっかけになります。本当はみんなどう生きたいのでしょうか?美味しいものが食べたいし、暖かいお風呂に入りたいし、安心して笑っていられる仲間に囲まれたい。そんな些細な幸せを生きている時に大切にしていきたいです。

忘れられない人②

私は研修医を終えると、大学病院の消化器内科で働くことに決めました。きっかけは癌患者さんとの関わりです。癌治療を進めていくことへの難しさ、患者さんの精神的なサポートをどのようにしていけばいいかを学びたいと思ったからでした。ある時、とても寡黙で真面目な女性を受け持つことになりました。40代ぐらいだったでしょうか。独身で仕事一筋だったようです。彼女は胆嚢癌でした。すでに病名は告知されており、抗がん剤治療が開始されるところでした。病状説明も真面目にメモを取りながら聞き、静かにうなづいていたのが印象に残っています。彼女を受け持つことになり初めて挨拶をした時、ベットの上で正座をし丁寧に両手をついて、これから宜しくお願いしますと頭を下げられました。彼女には母親がいました。病状説明のときにも一緒に付き添っていました。彼女の母親がお見舞いに来ていたとき、ふいに私は声をかけられました。「うちの子は本当にいい子なんです。本当に真面目で、ずっと一生懸命仕事をして、私のことも気にかけてくれて。いろんなことを我慢して。だからね、本当に助けて、お願いね。本当にいい子なのよ。」私の腕を掴みながら何度も懇願するに言われたのでした。抗がん剤が始まりました。しかし、すぐに全身に発疹が出ました。抗がん剤による薬のアレルギーを起こしたのでした。同じ薬を使うことができなくなります。次に別の抗がん剤を使用しました。また、アレルギー症状が出たのでした。これ以上今の薬を続けることが危険な状態になってしまったのでした。彼女に事実を伝えます。また同時に肝機能もかなり悪化していたのでした。癌の肝転移によるものです。もともと手術ができないほど進行した胆嚢がんは治療法は少ないのです。次の治療となると今まで使用していたもの以上に効果の低いものになります。さらに肝機能が回復しないかぎりその治療さえ難しい状況となりました。そのうち黄疸という症状がみられ始めました。さらに胆菅炎という感染症を発症しました。もう抗がん剤の使用どころか命も危ぶまれる状態になりつつありました。私は何も言えませんでした。感染症の治療をすること以外西洋医学的なことはできない状態でした。眼球は黄色く、発熱のため黄土色の汗を流しながら、彼女にじっと睨まれます。低い声で唸るように私に「助けてくれると思ったのに。お前のこと一生恨んでやる。」重い空気が立ち込めていました。私は何も言えませんでした。どのくらい時間が経ったかわかりませんが、私はしばらくそこを動くことができませんでした。その後一礼すると、彼女の個室の部屋を出て、廊下を足早に歩き、日中誰も入らない当直室に逃げ込むように入りました。ベッドに座りこんで、ため息をついたと同時に涙が出てきました。自分に対しての言葉に傷ついてなのか、それとも彼女の気持ちを考えた時の辛さからなのか、よくわかりませんでした。ただ、人を恨みながら生きていくなんてどんなに辛いことかと思いました。でも私にはどうすることもできないのだと落ち込みました。私は何もできないダメな人間だと思いました。その後彼女は亡くなりました。彼女の母親は混乱以上に発狂に近い状態でした。親戚の女性も来院しました。あんなにいい子だったのに。どうして。口々に言いました。医者というと人はどういうイメージを持つでしょうか?病気を治してくれる人、手術をしてくれる人、精神的なサポートをしてくれる人、助けてくれる人、なんとなく怖そう、話しかけずらい、優しそう、頼れる感じ、金持ちそう、威張ってそう、人によって様々かと思います。私の中では人を助けるイメージ強くあります。それは病気だけでなく、精神的な助けもです。大学病院で働いていた時、自分の無力さをいつも感じていました。手術のできない状態の進行癌を完全になくしてしまうことは少なくとも当時の医療現場では不可能でした。西洋医学でできることは限られます。だからこそ、何をすれば人が治るという状態に近づけるのか模索していたように感じます。

忘れられない人①

それは私が研修医の時でした。指導医の先生と夜間の当直業務をしていたところ、外来に一人の女性がやってきました。まだ30代と若いのですが、顔色が悪く両足が象の足のようにパンパンでした。なんだか体がだるくて仕方がないし、足がどんどん浮腫むで歩くのも大変だということで早速検査をしました。すると、骨盤内のありとあらゆるリンパ節が腫れて、両大腿の付け根の血管を圧迫して血流障害を起こしていました。血管が腫脹したリンパ節で圧迫されているので血液がうまく流れず、両下肢の血流が鬱滞して浮腫みになっていたのでした。それに加えて血管に血栓という血の塊ができ、この血栓が剥がれた場合、一気に心臓から肺へと血栓が流れ込み肺塞栓症という病気になる可能性がありました。突然呼吸困難を起こし、場合によっては突然死の可能性が高く緊急入院となりました。血栓を慎重に溶かす治療と同時に腫れているリンパ節の原因検索となりました。すると大腸癌のリンパ節転移とわかりました。私が彼女の担当を受け持つことになりました。彼女は新婚さんで入院前、結婚式を挙げるためにダイエットをしていました。ですから自分が痩せていくことにあまり疑問を持っていなかった様子でした。足が浮腫んで初めて自分の異変に気がついたのでした。本人へ病名の告知前にご主人と面談することになりました。病名と今の状態に対する治療法と今後どういったことが起こる可能性があるかなどを指導医の先生が話していきます。私は横で立ち会って聞いていました。ご主人は黙ってしまって、動揺しているようでしたが、一旦じっくり考えさせてほしいとその日は彼女との話あいはせずに帰宅しました。しかしそれから彼と連絡が繋がらなくなってしまいました。同じ頃、彼女の元に彼の会社から彼が出勤していないと電話が入ったのでした。彼女が心配して彼に電話をすると自宅でひきこもってしまっていることがわかりました。すると彼女は自分の治療よりも彼のことが心配だから退院したいと私たちに訴えたのでした。そうはいっても治療中です。まだ血栓も溶けきれていないので、突然急変の可能性があるのです。血栓の治療のために今は帰宅できないことを伝えました。こちらの立場としては血栓溶解を終えてすぐにでも次の治療の話をしたいところでした。まだこの時点で彼女に癌の病名は伝えられていませんでした。その後も彼と連絡がとれず、仕方なく彼女の両親に連絡をすることとなりました。今後の彼女のサポートのためにも家族の協力が必要と考えた結果です。彼女の父親が遠方からやってきました。また指導医の先生が病名、現在の状態に対する治療法などを話していきます。すると、彼は何をやっているんだと怒りをあらわにしました。また、すぐに実家に連れて帰りたいこと、できないのであれば病名告知をしないで抗がん剤治療をしてほしいことを伝えられたのでした。現在は肺塞栓症のリスクがあり退院は危険であること、また当の本人が自分の病気を知らないまま入院を続けることは不信感を抱くことになることが伝えられました。抗がん剤は副作用がでることが必須です。癌の治療には本人への告知が必須となります。そして何よりも彼女の人生なので彼女がどうしていきたいかを尊重する必要があります。彼女の父親もまた動揺し、どうしたものかと悩み込んでしまいました。そしてその感情の矛先は彼女の夫に向かったのでした。その後治療の話は一向に進まず、責任問題について、彼との今後の関係性についての議論が彼女の父と彼の両親の中で始まってしまったのでした。こちらから彼女の治療や今後の話を進めて話してもすぐに脱線してしまいます。今の現状に向き合えていないようでした。私は研修医ではありましたが内心とても焦りました。入院している本人が置いていかれているようでした。そして何よりもこれほどまでに癌というものに対して人々が混乱し、治療に踏み切れなくなる様子を目の当たりにしたのでした。現在は癌治療自体に私は関わっていませんが、手術ができないほどの進行癌の告知する際に本人よりも本人の家族にあらかじめ伝えられていることが多いようです。この時もそうでした。本人にだけ告知し家族には知らせないでほしいという人もいます。様々ですが、とてもデリケートな問題としてあると実感しました。癌という病気のこと、手術では治らないこと、抗がん剤治療について、一度に多くのことを受け入れていかなければなりません。当然様々な不安が起こります。それは本人もですし、家族もです。様々に人の感情が絡みあいます。あの時こうしていればと過去を悔やむこともあります。これからどうなっていくのか未来が不安になります。こうした葛藤を経て誰しも治療をしているのではないでしょうか?何時間にも及ぶ家族との話あいの結果、告知に関しては我々から本人一人の時に直接することとなりました。彼女は涙を流しながらもやはりそうであったかと納得し、抗がん剤治療が始まったのでした。私はなんとなく申し訳ないような気持ちになりました。病名がなかなか伝えられないことに対して不安もあったでしょうし、自分の知らないところで何かが起きていることは察知していたと思います。私はパートナーのこと、家族のことをもっとうまくサポートできる方法はなかったのか考えてしまいました。この時の経験で、癌治療に対して様々なサポートの必要性を感じたのでした。それは癌の治療に対して、生きることに対しての心のサポートを模索する第一歩になりました。